「おままごとSTYLE」60歳からの暮らし読本

60歳からの暮らしは、楽しく気軽に、おままごとの感覚で!まだまだ、自分の世界を、広げていきたい。

父の生まれた家


このブログの「目次」 - 「おままごとSTYLE」家事読本



久々に、父の生家に行ってきました。私の小さな頃は、この本家の屋敷内に、伯父家族を中心に、分家の伯母の家族や、従妹家族も住む、大家族でした。


その前は、もっと多かったかも。祖父母や、大量の伯母や叔母、孤児になった従妹たちも引き取られて、ここで暮らしていましたから。


要は、田舎の一族の砦だったのです。


でも、今は、伯母と、跡取り娘の従妹の、母娘が住むのみ。若い人の大学や就職先がないので、外に出ていくしかなかったのです。






専業農家で亡くなった頃から、農作業場は、日本庭園に作り替えられました。この奥は、荒れた畑と、先祖代々の墓所。


畑は、男手がなくなったことと、山の猿の襲撃がひどすぎて、やめてしまったそうです。


田んぼも、伯父が高齢になってからは、人に頼んでいましたが、頼む人も高齢となり、元々の、父の家の家業だった稲作も、途切れてしまいました。


ここにいると、日本の田舎の、移り変わりがわかります。






子どもの頃、伯父や伯母、従妹たちと、ワイワイしながら掃除をした池。年に1回、みんなが集まるので、もうお祭り騒ぎでした。


都会の団地っ子だった私は、この池で、鯉に餌をやるのが、大好きでした。






元々が農家なので、農機具置き場は、残っています。昔は、ここに牛小屋があったそうですが、私は覚えていません。


ただ、5歳くらいの頃、隣の家に、牛小屋があったことは覚えていて、ここに到着すると、大人の眼を盗んで、牛を見に行っていました。





私の大好きな、帆掛け船の飾り瓦。もう一世代前の家の時は、もっと素朴な瓦だった気がします。


私は、集合住宅以外に、住んだことがことがないので、瓦が珍しくて仕方がない。美しいものですが、同時にこんなに重いものを、屋根に乗せる技術が、不思議です。


そういえば、阪神淡路大震災の時、昔風の農家の日本家屋に住む、友人の家、家がつぶれて、地面にきれいに瓦だけが、並んでいましたっけ。





今回、父の故郷(私の故郷でもあります)に行ったのは、父と伯父と祖母の法事のため。


お墓は、元々、裏の山の中に点在していたのですが、伯父の代になって、墓所を一つにまとめ、本家の代々の墓と両親の墓を、手前に新しく作りました。


この法事に、出席したのは、3人だけ。もう、家の座敷にお寺さんを呼ぶことも出来ず、お寺での法事で、食事も仕出し。


父の三回忌を、この家で執り行った時は、まだみんな若かったし、人でも多かったので、家長の伯父の支持の元、座敷に置いてある家具を、その時だけ、人海戦術で、全部取り払って、何十人もの親戚が集まったのを、思い出しました。


あんな、昔風の親戚の集まりは、もう二度とないんですね。伯父夫婦の力量のすごさと人徳に、今になって、感謝です。


多分、従妹の子どもの世代は、ここに戻ってくることはないでしょう。90代の伯母と、70代の従妹が、最後の墓守です。


私も、これから、何度、この家に、足を運ぶことが出来るのかな。


色々、考えさせられました。