片付けは手段か目的か
時々、火がついたように、片づけを始めることがあります。だからといって、私は片付けそのものが好きなわけではない。
あまりにモノが溢れてしまって、必要に迫られてのことか、気分を変えたくなってのことか。片付けの本を読みすぎて、急に試したくなった場合も。
中には、片付けそのものが大好きな人もいます。片付けが趣味というか、きれいに暮すための手段というだけではなく、片付けが目的となっている。
フルーツ皿…リチャードジノリ(リサイクル品)
私の母は、どちらかというと、目的になっているタイプ。徹底的に片付けることで、自分の気持ちを整理しているみたい。それもありですね。
片付けが、手段だろうと目的であろうと、人それぞれの考え方でいけば、いいことです。
家が片付いてることが、大切だから。
私は、周期的に気持ちが沈む。そうなると、家の中が乱れてきます。
今、まさに沈み気味。ブログの内容が陰になってる自覚あり。
そろそろ、片付けそのものを、得意な人に頼みたいかも。幸い、まわりに、片付けのプロがたくさんいるので。
苦手なことにチャレンジする体力が、なくなってきました。
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